【剣禅一致】 柳生宗矩 【信長の野望 出陣】

徳川家

基本情報

能力

戦法

特性

列伝

徳川家臣。宗厳の子。兵法師範を務め、主君・秀忠に柳生新陰流を伝授した。秀忠の死後は、秀忠の子・家光に仕える。後に大目付となり、一万石を領した。

解説

敵襲イベント第4期の報酬武将として新登場。
その後、民忠の結晶で友好度を獲得できるようになりました。

旅人の駆け出し
旅人の駆け出し

NHK大河ドラマ『春の坂道』にて主役を務めた徳川家指南役の剣術家。
柳生十兵衛の父親という印象の方が強いかもしれません。
関ヶ原の戦いの前哨戦である会津征伐で功を上げました。
自身の柳生新陰流を活人剣と呼び、率先して人を倒したという記録は残っていないはずなのですが、与ダメ増加特性を3種持つ生粋の攻撃担当武将です。

総合能力値は287。
剣豪という事もあり、政治や統率は高くありません。
しかし武勇と知略に関しては80台あり、編成ボーナスは発動できます。

兵種は徳川家に多い足軽ですが、徳川家では希少な近畿地方武将です。

戦法は【武勇攻撃】の攻撃系戦法。
鉄砲兵種に対して特効がありますが、元々の効果量がそれほど大きくないため鉄砲以外のダメージはあまり期待できません。

範囲は小範囲で戦法速度も際立って早いわけではありません。

旅人の駆け出し
旅人の駆け出し

特定兵種に強い徳川家の足軽武将として騎馬に強い【鬼半蔵】服部半蔵がいます。
似たような立ち位置ですが、戦法的には半蔵の方が扱いやすく効果も大きいです。
しかし、後述の特性効果もあり部隊全体での火力向上担当としては宗矩の方が優秀です

【与ダメージ増加】特性を3種持つ、生粋の攻撃担当武将です。
最大で45%の効果量を発揮できます。

与ダメージ増加特性は被ダメージ軽減特性を相殺できるため、相手が被ダメ軽減特化編成でもダメージを与えやすいです。

【攻撃上昇】戦法に定評のある徳川家に組み込むことで更にダメージを伸ばすことが出来ます。
【剣豪将軍】やMr.与力特性の福島正則と部隊を編成しても良いです。

どちらの編成でも大きなダメージを出すことが期待できます。

その他に【被弱化短縮・副将】を持ちます。

旅人の駆け出し
旅人の駆け出し

槍信玄が登場して以降、弱体戦法を利用する方が減りました。
結果として【被弱化短縮】系の特性の重要度は現環境だと高くはありません。
しかし、ゲーム環境は時々刻々と変化するので、いずれは重要になる機会が来るかもしれません。特に近畿地方は【被弱化短縮】特性を持つ武将が多く、宗矩は被弱化短縮特化編成を組む場合に重要な役割を担うのではと個人的に期待しています。

能力値や戦法は際立つ物がありませんが、特性が優秀です。
攻撃に重きを置く編成を組む場合は非常に重宝します。

民忠の結晶で交換可能な武将の中で最多の勢力が徳川家です。
24/8/25時点だと井伊直政、服部半蔵、柳生宗矩、瀬名姫の4人が民忠の結晶で交換可能です。

民忠の結晶は1週間の獲得数に制限があるため、集めるのに時間はかかりますが、運に頼らず確実に部隊を揃えられると言えます。

東海地方は武将数が最多の地方のため、仮に徳川家で揃えなくても地方一致の編成ボーナスが発動させやすいです。

その他の徳川家臣

旅人の駆け出し
旅人の駆け出し

その他の徳川家の武将については下記の記事にまとめていますので参考にしてください。

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【非常の器】 本多正信 【信長の野望 出陣】
徳川家臣。三河一向一揆に身を投じて主家を離反、諸国を放浪したのち帰参。行政と謀略に優れた手腕を発揮した。主君・家康には「友」と呼ばれたという。
【奇正天性】 立花宗茂 【信長の野望 出陣】
大友家臣。高橋紹運の子。立花道雪の娘を娶る。豊臣秀吉に「忠義と剛勇は鎮西一」と評された。関ヶ原合戦で西軍に属して改易されるが、のち旧領に復した。
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昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。
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徳川家臣。遠江高天神城攻めなど多くの合戦に従軍した。一時は豊臣秀吉などに仕えたが、のちに帰参し、備後福山10万石を領す。島原の乱にも参陣した。
【天下泰平】 徳川家康 【信長の野望 出陣】
江戸幕府の創始者。広忠の子。桶狭間の合戦後に自立。織田家との同盟、豊臣家への従属を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。
【松代城】真田信之【信長の野望 出陣】
昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。

民忠の結晶で交換可能な武将

【島津の英主】 島津貴久 【信長の野望 出陣】
島津家15代当主。忠良の嫡男。父の補佐を受けて所領を広げ、薩摩統一を果たす。新兵器・鉄砲の導入や積極的な外交政策などで島津家飛躍の土台を築いた。
【井伊の赤鬼】 井伊直政 【信長の野望 出陣】
徳川家臣。徳川四天王の1人。軍装を赤で統一した軍兵は「赤鬼」と恐れられ、常に先鋒を争った。関ケ原の合戦では島津軍を追撃し、島津豊久を討ち取った。
【鬼義重】 佐竹義重 【信長の野望 出陣】
佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。
【不顧の殿軍】 甘粕景持 【信長の野望 出陣】
上杉家臣。三条城主。初名は長重。第四次川中島合戦では殿軍を務め、妻女山を襲撃した武田軍別動隊と戦う。謙信の死後は景勝に仕えて数々の戦功を立てた。
【浮城の勇】 成田甲斐 【信長の野望 出陣】
成田氏長の娘。小田原攻めでは三宅高繁を討ち取るなど、石田三成率いる大軍から忍城を守る。東国一の美貌と謳われ、のちに羽柴秀吉の側室となった。
【川中島の合戦】 武田信玄 【信長の野望 出陣】
甲斐守護。信虎の嫡男。苛烈な政策に反対して父を追放、当主となる。精強な騎馬軍団を率い、臨機応変の知略で織田信長を苦しめた。通称「甲斐の虎」。
【小一郎の知徳】 羽柴秀長 【信長の野望 出陣】
秀吉の異父弟。兄の片腕として、その覇業に貢献する。温和で人望高く、秀吉と他大名との折衝役を務めた。秀吉に先立って死去、諸将に死を惜しまれた。
【鬼半蔵】 服部半蔵 【信長の野望 出陣】
徳川家臣。半三保長の子。父の跡を継ぎ隠密頭を務める。主君・家康の伊賀越えの際には、警護を担当し、無事に帰国させた。「鬼の半蔵」の異名をとった。
【八面玲瓏】 愛姫 【信長の野望 出陣】
伊達政宗の正室。陸奥の豪族・田村清顎の娘。伊達家との友好のため正宗に嫁いだ。才色兼備で知られ、よく内助の功を尽くして政宗を支えたといわれている。
【剣禅一致】 柳生宗矩 【信長の野望 出陣】
徳川家臣。宗厳の子。兵法師範を務め、主君・秀忠に柳生新陰流を伝授した。秀忠の死後は、秀忠の子・家光に仕える。後に大目付となり、一万石を領した。
【一木離支】 瀬名姫 【信長の野望 出陣】
今川義元の養女。築山殿。徳川家康に嫁ぐ。桶狭間合戦後、夫が織田信長と同盟を結んだため、不和となる。武田家への内通の疑いを受けて夫に殺された。
【奥羽の鬼姫】義姫【信長の野望 出陣】
最上義光の妹。伊達輝宗に嫁ぐ。「奥羽の鬼姫」と呼ばれたほどの激情家であった。政宗、小次郎を産むが、隻眼の政宗を忌み嫌い、毒殺を試みたこともある。
【道鬼の献策】山本勘助【信長の野望 出陣】
武田家臣。文武百般に通じ、主君・信玄の軍師を務めた。第四次川中島の合戦で「啄木鳥の戦法」を上杉謙信に見破られた責を負い、乱軍に突入し戦死した。
【忠烈たる志】鳥居元忠【信長の野望 出陣】
徳川家臣。関ケ原合戦の際に主君・家康の名で伏見城に籠城する。13日間の攻防戦の末、城兵と共に玉砕した。その忠節は「三河武士の鑑」と称賛された。
【朝倉の軍配】 朝倉義景 【信長の野望 出陣】
朝倉家5代当主。考景の嫡男。将軍・足利義昭と結び織田信長包囲網の一角を担うが、次第に勢威を失う。刀禰坂合戦で敗北を喫し、一族に背かれて自害した。

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