信長の野望 出陣

毛利家

【郡山城】毛利元就【信長の野望 出陣】

安芸の戦国大名。権謀術数を駆使して勢力を拡大、中国10か国の主となった稀代の謀将。厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。
徳川家

【広島城】福島正則【信長の野望 出陣】

豊臣家臣。賤ケ岳七本槍の筆頭。関ケ原合戦では東軍の主力として奮戦し、安芸広島49万石を得る。しかし、のちに居城・広島城無断修築の罪で改易された。
豊臣家

【大阪城】豊臣秀吉【信長の野望 出陣】

戦国一の出世頭。織田信長に仕え、傑出した人望と知略を武器に活躍し、頭角を現す。本能寺の変後、明智光秀、柴田勝家らを次々と倒し、天下に覇を唱えた。
名城図鑑

首里城【名城図鑑】

那覇市内を一望できる小高い山の上にある首里城。城は東西約400m・南北200mの規模を誇り、琉球王朝の王城として沖縄県内最大規模の城でした。2000年12月に『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録された。
名城図鑑

八王子城【名城図鑑】

北条氏政の弟・氏照によって築かれた山城。天正十二年(1584年)以降、氏照が滝山城から本拠地を移したと考えられている。ふもとには城主・氏照の居館があり、要害地区は自然の地形を生かした壮大な縄張りだった。天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで落城した時にも、城は未完成だった。
名城図鑑

甲府城【名城図鑑】

山梨県にある唯一の近世城郭。本能寺の変と天正壬午の乱の後、甲斐を領した徳川家康が平岩親吉に命じ築城が開始され、家康の関東移封後は加藤光泰ら豊臣系大名が引き継いだ。江戸時代には甲府藩の藩庁となり、宝永元年(1704年)には、徳川綱吉に仕えた側用人の柳沢吉保が甲府城主となった。
名城図鑑

武田氏館【名城図鑑】

永正十六年(1519年)に武田信虎が築いた居館で、躑躅ヶ崎館の名で知られる。館の背後には、非常時に籠城するための要害山城があった。信虎、信玄、勝頼の三代にわたって武田氏当主が政務を執ったが、勝頼の代には本拠地を新府城に移した。
名城図鑑

江戸城【名城図鑑】

長禄元年(1457年)、太田道灌が水運の要地に築いたのが始まり。豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が滅亡した後、関東に国替えとなった徳川家康が入り、近世城郭へと改築された。家康が天下人となってからは、全国の大名を動員した天下普請によって壮大な城郭となる。
名城図鑑

和歌山城 【名城図鑑】

1583年に豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が築城した城。後に浅野行長が天守を建てた。更に徳川頼宣が拡張工事を行い徳川家御三家の一つとなった。その後、暴れん坊将軍でおなじみの徳川吉宗を排出した。先の大戦にて天守は消失したが昭和33年に再建された。
黒田家

【姫路城】黒田官兵衛【信長の野望 出陣】

豊臣家臣。主君・秀吉の参謀を務め、秀吉の天下統一に大きく貢献した。しかしその卓越した戦略的手腕を恐れられ、禄高は豊前中津12万石におさえられた。